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 注文したコーヒーとチキンパイが出てくるのに時間はかからなかった。
「子供の時のこと、どれくらい憶えてる?」
 彼女は窓の外の桜並木を見ながら、紅茶の入ったカップに口をつけた。
「たまにウチで一緒に遊んだりとか。あと両親がそろって家を空けたときに泊まらせてもらったこととか、その逆も」
「それじゃ、一緒にお風呂に入ったこととか?」
「そんなことあったっけ?」
「あったよ。水の掛け合いっこしたりして遊んだもの」
 そういわれれば、そんなことがあったような気もする。それでも、記憶は曖昧だ。僕はそもそも、他人のものであれ、自分のものであれ、記憶というものは基本的に信用していない。確かなのは、記録だけだ。
「ねえ、私の名前憶えてる?」
「…………」
 だから、日記を書いていなかったことを後悔する。
「憶えてなかったんだ」
 まるで最初から見抜いていたような、意地悪な笑みだった。
「……ごめん。でも、遊んだのはちゃんと憶えてる」
「別に、そんなことで怒ったりしないよ」
「でも、忘れられるのは気分が悪いんじゃないかな。それに、嘘をついた」
「それなら、私も謝らないといけない。昨日まで、君の名前は忘れてた。お母さんに教えて貰って、それで思い出したんだから。そこから連鎖的に記憶が蘇ってきて。だから全て憶えてたわけじゃないよ」
「そっか。ありがとう。気が楽になった」
「私はリョウ。見矢木 涼。だから今度は忘れないでよ?」
「うん、今度は忘れない」
「信じられないなあ」
 そう言って笑いながら、紅茶にミルクを加えてスプーンで混ぜる。
「ねえ、何か交換しない? 次に会った時、相手のことを憶えていたら、ちゃんと返してもらえる」
 それはきっと暇から生まれた、ちょっとした思いつきなのだろう。
「おもしろそうだね」
「やってみる?」
「やってみようか」
 彼女が首にかけていた十字のペンダントを外す。
 僕はそっと、腕時計を外した。その他には携帯とか家の鍵とか、そんなものしか持っていなかったからだ。ペンダントを受け取り、腕時計を渡す。
「それじゃ、また今度会うときまでね」
「いつになることやら」