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階段の踊り場に立つ女と、目があった。
ゆっくりと立ち上がり、こちらに銃を向ける女と対峙する。
肩まで伸びた金色の髪。
写真では分からなかった、鋭い紺碧の瞳。
黒いジーンズを履き、その上に使い古した白いタンクトップを着ている。
見た感じの年齢は17,8といったところ。
「エイリファス……やっぱり偽名か」
――俺は、この女を知っている。
無いはずの面識が、そこに有った。
「そう……あなたもこのゲームのプレイヤーなのね」
「ゲーム……何の話だ?」
「数年前に始まった、ゲームとは名ばかりの潰し合い。知らないとは言わせないわ。耳にしたことくらいあるはずよ」
確かに耳にしたことは幾度かある。
「……つまり、俺はその駒として雇われた、と?」
「断定はできないけれど。それで、あなたは私を殺す?」
「そうだな……お前はエイリファス・クロイツでは無いだろう。なら殺す理由はない」
それでも銃を降ろさないのはまだ警戒してるからで、殺そうとしたら反撃する、という意思表示。
「……そう。なら良かった。今もそうだけど、勝てる気がしないわ」
そう言って、銃を降ろし、階段を降りてくる女。
それを見て、こちらも銃を降ろす。
一番下まで来て、女はこんな事を言った。
「それなら、そうね。……私と手を組んでくれないかしら?」
そう言う彼女の左腕には、朱く血の滲んだ包帯が巻かれている。
「ああ、いいぞ」
「……え? ホントに?」
そう言う彼女の顔は、驚きに満ちていた。
「知らない仲じゃないし。それよりその傷……」
「ああ、これ? 大丈夫」
包帯の巻かれた左腕を右手で押さえる。
「そうか、ならいい」
◇
刻々と色を変える空は、明け方そのもので。
女がコーヒーの入ったコップを2杯持って、こっち――食堂にある4人掛けのテーブル――にくる。
「朝ね」
こちら側に片方のカップを置き、ちょうど反対側に座る。
「……朝だな」
エレンは、と言うと先程会話してる時からだろう、居間のソファーで寝ている。
「…………」
「そういえば、名前なんて言うんだ」
「そういえば、まだ言ってなかったっけ。……そうね、エイリファスでいいわ」
「……そうか」
殺すのを辞めた理由が解消されたような気がするが、これは愛称と言うことで。もともと、彼女だとわかった時点で殺す気は無くなっていたし、そもそも殺すことが好きな質ではない。
「あなたは?」
「名前か? そうだな……今はジャーヴィスって事になってるな」
「ジャーヴィス、ね」
「……さて、これからどうするんだ」
「これから? 別に帰っていいわよ」
「は?」
予想しなかった返答に、戸惑う。
「だから、まだ狙う相手も決まってないし、しばらく家で休んでて」
……ああ、そういう事か。
「でもま、もう少しゆっくりしていってよ。刺客以外の客が来たのは久しぶりなの」
でも最初は刺客だったか、と付け足して。
「わかった。
それじゃ、お昼頃まで居ようかな」
「ええ、そうして」
話している間、彼女――結局、エイリファスだっけ――はずっと穏やかな顔をしていた。
◇
エイリファスの作ってくれた朝食を食べていると、エレンが起きてきた。
エレンが銃を向けたときは少し焦ったが、「人違いだったよ」と言うとすぐに大人しくなった。
昼食は三人で近くのイタリアンレストランへ。なかなか美味しかったが、こんな村で儲かっているのだろうか?
その事を年老いた店主に聞くと、昔は都会の方に店を持っていたのだが、数年前にこちらに移転したらしい。今でも昔の客が来てくれて生活はできているそうだ。
◇
結局、午後三時頃までその店に居た。
レストランから彼女の家に戻ると、すぐにガラス屋が来て玄関のドアを直していった。もちろん全額を負担することになったのだが……安く済むといいなぁ。
そうして。
『さようなら』と、手を振るエレンにエイリファスは小さく手を振って答えていた。
◇
「ヴィスさん」
「ん?」
村を出てからすぐ、後部座席のエレンに話しかけられた。
「その……エイリファスさんとは知り合いなんですよね?」
「まぁ、そうだな」
「どこで、知り合ったんですか」
バックミラーを見ると、下を向いて話す少女が見えた。
「……数年前に、ある大企業の重役を殺害して欲しい、と依頼が来た」
――
そう、あれは数年前の冬。空気まで凍ってしまいそうなある日の事。
その男は都心に近い所に建つ高層マンションの最上階に住んでいた。
そのマンションは、A棟とB棟の二つから構成され、男が住んでいるのはB棟。A棟より若干低い。
二つの棟の間は30m程度。
午後10時。男の自動車がマンションの地下にある駐車場へと入っていくのを確認したのはA棟の屋上に立っている男――俺だ。
帰ってきたらすぐにシャワーを浴びる、と著書の中で男は語っていた。それが偽りでも、風呂には入るだろう。
左手をズボンのポケットに突っ込んだまま、三脚で固定したライフルのスコープを覗く。と同時に、首筋に冷たく固い物が突きつけられた。
その冷たさは、生物の生を奪う為か。
『……っ動くな』
微かに震える細い声は、女のソレだ。
自由な右腕の肘で女を強く突き、そのまま反転。女の方を向き下から掌底でアッパーを喰らわす。
女は倒れ、手から刃渡り12cm程のナイフが飛び出した。とりあえず回収しておく。
再びスコープを覗けば、今まさに男が入ってきたところ。
男は、中央のクロスより少し右上で、シャツを脱いでいる。浴室の入り口は向かって左。と言うことは確実に中央を通るはず。
男が全ての服を脱ぎ、移動を開始する。
……引き金を引くだけで、あっさりと仕事は終わった。
あとは、この棟の9階に借りておいた部屋に戻るだけ。
『……よくも……』
撤回。仕事はひとつ増えた、むしろひとつ増えていた。
後ろを向けば、さっきの女。左手に握られているのは別のナイフ。
こちらは右手に先程回収したナイフを逆手に握る。
一瞬の沈黙の後、女は腕をいっぱいに伸ばし飛び込んでくる。
その左腕を左手で流し、後ろから羽交い締め。
「うわっ放せっ」
じたばたする若い女。
「まぁ落ち着け。とりあえずナイフ放せ」
「……〜〜」
すると少しだけ唸って、女はナイフを手放した。意外と素直なのか?
「ちょっ、放してよ」
「ん……ああ、そうだったな」
そう言って解放してやる。
女は、はぁ、と小さく溜息を吐き縁へと歩いていく。
そんな様子を一瞥し、ライフルの分解作業を始める。
「……ねぇ」
少しして、突然話しかけられた。
「なんだ?」
作業を中断し答える。
「私を殺したりしないの?」
「そりゃ、理由がない」
なんだ、そんなことか。そう思って作業を再開した。
「なんで? 私はあなたを殺そうとしたのよ?」
「お前が俺を殺す理由はもう無いだろう? お前が俺を殺そうとしないから、俺だって殺そうとは思わない」
荷物をまとめて立ち上がり、マンションの中へと続く扉を開く。
女は屋上の縁に腰掛け、片足を外に放り出している。
そんな彼女が少しだけ気になって。
「あんまり遅くまで外にいると風邪引くぞ」
なんて、声を掛けたりしてみた。
――
「と、こんな感じだ」
「……それだけ、ですか?」
「いや、その後なんだかんだ言って俺の部屋まで来て『腹減った』って言うからパスタを茹でてやった」
「なんか、すごい話しですね」
「そう……だな」
今更だが、確かに凄い話しだと思った。
◇
やっと街に着いた。久しぶりに帰ってきた感じ。
「あと2日……エレン、あいつの家の場所ってわかる?」
もう仕事は終わった(正確には無くなった)のだから、もう一緒に居る必要はない。
「いえ……私は、施設で暮らしていたので」
「施設?」
「寮みたいなモノです」
「なるほどね。『施設』って事は他にも何人かいるの?」
「はい。全員で……15名ほどです」
「もしかして、全員銃を普通に使えたり?」
「そうですね。人並みには訓練されていると思います」
さ、殺人集団かよ。
「……じゃ、その施設の場所は?」
「残念ながらわかりません」
……そうか。
「ウチに泊まってく……しか無いね」
「あの、迷惑でしょうか?」
「いや、大丈夫。ウチで良ければ、いつでも使って」
ハハハ、と明るく笑ってみせると、エレンも笑った。
「それじゃ、お願いします」
「OK、じゃ晩ご飯は何にしようか」
そうして、家へと車を走らせる。
◇
それからの二日間は何事もなく、平穏に過ぎていった。
会社(と言っても暇な殺し屋の集まりで、一応広告を作ってたりする)から帰るとエレンが洗濯をしていて、なんというか意外だった。
本人によると、施設では自分のことは自分でやらなくてはいけないので、自然に身に付いたのだそうだ。けれど料理だけは業者の担当なので出来ないらしい。
――午後5時、エレンと一緒に家を出る。
◇
5時23分、店内には、すでにあの男がいた。
あの男の向かいに腰掛ける。エレンは横に立ったまま。
「それで、どうだったのかね」
男は沈むように椅子に座っている。
「そうですね、この住所に人は住んでいませんでした」
男の顔が、少し歪んだ。
「つまり……殺せてない、と?」
「はい。恐らく全て偽造されたモノだったのでしょう」
嘘も方便……じゃないか。
「……そうか、わかった。手間を取らせたな」
「いえ」
男は立ち上がると、エレンを連れて店を出て行った。
◇
空白。
たった三日間だけの生活から元の生活に戻ると、予想していた空白が存在していた。
今更になって後悔するのは、あの時エレンに名前を付けた事だ。名前を付けなければここまで彼女の存在が大きく成ることも無かっただろう。
最後に挨拶が出来なかったのが心残りだ。
――なんだか、急に疲れた。
◇
なんだか、急に疲れた。
暗い路面がヘッドライトの光に照らし出され、その上に描かれた白線は車体の下へと吸い込まれていく。
男がアパートへと戻ったのは午後7時のことだ。
ベッドルームまで行く気力もなく、玄関から直に見ることの出来る白いソファーに倒れ込む。
鍵は、閉めていない。
閉めていないと言うより、入ったときに閉め忘れ、そのためだけに玄関まで行く気力が無いだけだが。
瞼を閉じるとすぐに眠気は訪れ、疲れた精神を闇へと攫っていく。
◇
男の部屋の扉が再び開かれたのは、深夜2時。
入ってきたのは10歳ほどの少女。
手には冷たいナイフ。その冷たさは生物の生を奪う為か。
部屋の鍵が開きっぱなしであった事は、彼女にとって予想しなかった幸運であり、また不幸でもあった。
入って正面の白いソファーに向かって歩いていく少女。
虚ろな目つきで歩を進める。
そして、ソファーの前で、止まり、ゆっくりと、ナイフを、構えて
一気に突き刺した。
そのまま崩れ、駄々をこねる幼児のように泣きじゃくる。
そして、後ろから近寄る影。
◇
「どうした?」
腰を屈めて、泣きやまないエレンの頭に手を乗せ話しかける。
「……ふぇ?」
こちらとソファーを交互に見比べる。ソファーの上には丸められた毛布と、それに刺さったナイフ。
「どうした?」
エレンが俺を殺す為に来たのは確かなのに、何をしているのだろう。
「…………」
エレンは下を向いて話さない。
目を覚ましたのは十分ほど前。嫌な予感で目を覚まし、玄関からソファーのある居間まで続く廊下のクローゼットの中に身を隠した。
暗かったから、毛布と人間の違いに気づかなかったのかも知れない。実際、それを狙って毛布を丸めておいたのだが。
「……貴方を殺せ、と命令されました」
ぽつり、と呟く。
「殺すまで帰ってくるなと。でも、無理だった。私は貴方を殺したくないし殺せない」
「……それなら殺さなければいいじゃないか」
そんな単純な事じゃないと理解している。
「殺さなければ、帰らなくてもいいんだ」
それでも、思った事をそのまま言う事しか出来ず。
「でも、家なんかありません」
「ウチで良ければ、いつでも使っていいよ」
「……ありがとう…ござます」
「いいよ……別に」
なんだか、妙に照れくさかった。
◇
あれから、太った男との接触はゼロ。
もともと一人暮らしには少し大きな部屋だったので、子供が一人増えても狭くは感じないし、生活にもコレといった変化はない。
だが全く変わってない、といえばそれは確実に嘘になる。
例えだが、今まで無彩色だった生活に少しだけ色が付いた。
そんな感じ。
アパート近くの公園の木は紅い葉を散らし、冬がすぐそこまで迫っていることを視覚に訴える。
troia 完
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